食事のことばっかり

食べること・飲むことばっかり考えてます。

明日は何つくろうかな~って、休日は特に。
何食べよう?が何つくろう?になったのはイタリアへ来てからですが。何食べよう?も日本にいるときは必ずしも毎度考えていたわけではないな(実家暮らしなので)

今日はたまたまスーパーで友達に会って、その子の家でお茶してお菓子までつくってごちそうになってきた。雨で外出るのめんどくさかったけど、やっぱ出掛けてみるもんですね。
その子の地元のお菓子(strudel)をつくったんだけど、パイ生地でりんごとかのフルーツを包んで焼いたものでおいしかった~。生地さえ用意してしまえば簡単につくれそう。
それを食べてて、パイ生地の部分が好きだからはじっこがいい~って言ったら、そこはおしりみたいな言葉で表すんだと教えてもらった(けど辞書に載ってないみたいで正確になんだったかわからない…)。

こうしてはからずも2日連続でタンデムできたことに。実は昨日もその子とお茶してたのでした。tea roomという紅茶専門の喫茶店で。イタリア人にもお茶好きなひとは意外といるものです。まあそりゃ当たり前なんだけど、ステレオタイプのイメージみたいなものって強いからね。エスプレッソしか飲まないわけじゃない。

そしてそして、そもそも何を買いに雨のなか出掛けたのかというと、できたばかりの今年のオリーブオイルと、ヴィンサントというトスカーナの食後酒、あ、例のデザートワインです。
スーパーで買うものよりは多少高かったけど、これくらいの贅沢はさせてもらおう。
オリーブオイルは早速試しましたが、やっぱり苦味と辛味が特徴的ですね。ほんとにぴりっとくる。きれいな緑色で、見学させてもらったところのものと似たタイプ(?)なんだと思うけど、キャンティ・クラシコのワイナリーで試させてもらったみたいな黄色くてもうちょっと芳醇なタイプも買って比べてみたい。あれはつかってる品種の差なのか、新しさの問題なのか…。オリーブオイルの世界も深くておもしろそうだ。
ヴィンサントのほうはと言うと、さあ飲むぞとウキウキしてたのに、オープナー持ってないのを忘れていたためお預けです。栓もないのでまとめて明日買いにいかなきゃ。こういうとこ直んないんだよねえ~

感性ねえ

3か月めがはじまりました。

 

パリたのしかったです、無事行って帰ってこられました。

トラブルといえば、こっちに戻ってきた日にフィレンツェのバス停が閉鎖されていてバスで帰れず電車で2時間近くかけてシエナまで帰ったことくらいですね。一気にイタリア帰ってきたなという心地がしました。おそろしいことにこれくらいのことではもうあんまり動揺しなくなってきた

 

パリのこともちゃちゃっと書きたいんですが、そのあと行ったモンタルチーノのことを先に(こうやって長い旅行のこと後回しにして結局書かないんだよねえ)。

 

ブルネッロというワインがありまして、その生産地として知られるのがモンタルチーノです。

そのブルネッロを醸す醸造所を見せてもらうべく、今回は行ってきました。シエナ近郊の小さな町へ行くシリーズ、ピエンツァに続き第二弾。

見せていただいたところは特徴的なつくりをしている生産者さんで、なかなか興味深かったです(bonsaiという名の生産方法でつくったものがある。実際それよりもビオディナミを取り入れてることのほうが気になってしまったけどね)。

試飲もさせてもらいました。いくつか飲み比べながらあーだこーだ考えたんですが、匂って味わって、解釈してそれを表現して、っていうのが本当に苦手。下手。経験がないからというのもあるんでしょうけど、それにしても頭に浮かんでくる情報が乏しい。ちゃんと勉強したいなとずっと思ってはいるんですが、どうでしょうね。働き始めてお金に余裕ができたらスクール通うくらいはしたいな~。でもその前に自分で基礎を勉強しておくことが大事よ、と教わったので、まあ少しずつ…。ともあれ今はせっかくトスカーナにいるんだし、積極的に味わって勉強しなきゃもったいない。

まず美味しいデザートワインをみつけようと目論んでいます、甘いもの狂いなので(試飲したデザートワインも美味しかった)。デザートワインが家にあったら最高ですよね?

1/5

明日の試験が終われば10月の授業も終わり。
留学の1/5が終わりそうってやばくないか??

この前、イタリア人の女の子に○○のことが好きなんだけど内緒だよ!みたいなこと言われて、こんなの小学校以来だな…ってにやにやした。ふぉるつぁふぉるつぁ!この女の子とは仲良くなれそうでうれしい。

相変わらずぜんぜん言葉が出てこないし知能は3歳児レベルなんだけど、イタリア語を勉強しているとたのしい瞬間もある、もちろん。

その女の子に、イタリア語と日本語どっちで考えてるの?と訊かれたんだけど、まだ日本語ばっかりだなあと…(そりゃそうなんだけど)。
話すときの8割くらいは、日本語で頭に浮かんだ言いたいことを自分にできる範囲でイタリア語にしているというのが現状。残りの2割は、日本語を通さずそのままイタリア語で言葉にしている。よく使う表現とか、反射的なものに限るけど。
(前者に関して、当たり前だけど授業やふつうの会話のなかで意見を求められたときにそもそも何も頭に浮かばなければ何も話せないし、実はそっちの、言葉以外の問題って大きい。コンテンツがなければ黙ることしかできないし、そうするとこいつは話せないやつだと思われる。逆に言えばごくわずかな語彙でも本当に伝えたいこと・自分の関心事なんかはがんばって伝えようと努力できるところはある。日本のゼミで、プレゼンをよくするためにはコンテンツを磨けと言われたけど、まさにそういうことだよね。おしゃべり好きは上達はやいと思うわ)
脱線したけど、この8割というのがどんどん減っていけばきっと流暢に話せるようになるということなんでしょう。

言いたいことをイタリア語にするとき、つい直訳しようとしがちなんだけど、それじゃうまくいかないことが多々ある。そうなると、思い浮かんだ日本語を一度日本語で言い換える必要が出てくる。
この言いたいことを組み立て直す作業をしていると、自分が今までどれだけ日本語の慣れた言い回しに頼って話していた/考えていたか、ということを自覚させられる。言い回しに寄りかかって、思考停止していた部分があった。それに気づけただけでも大きな収穫だし、言いたいことを論理的に再構築する訓練はきっと語学をやめても自分の役に立つ。このへんのことはやっぱりおもしろいなと思う。
で、そうやってイタリア語の構造にぶちこむための再構築をやっていると、イタリア語で考えたほうが楽なケースも出てきて、たぶんこうやってイタリア語的思考回路が育つんだろうなあと。うーん、それにしても考えすぎかもしれないな。

そうするとやっぱり、慣れと実践、インプットしてはアウトプットして…しか方法はないんだよね~
だからそのインプットは、イタリア人の話すイタリア語がいいとわたしは思う。あんまりわたしはクラスにいる、つまりイタリア人以外のひとたちと積極的に交流しようとはしていなくて、そのひとたちと一緒にいるならイタリア人とおしゃべりしたいし出掛けたい、と考えている。
語学やってて何がいちばんわからないって、言葉選びとかニュアンスとか、そういうあいまいな部分。文法は授業受けて自分で参考書読めばいい。
アウトプットにしても、せっかく自分で増やした語彙は、積極的に使いたいしそれが合ってるのか確かめたいじゃない。それは外国語としてイタリア語学んでる相手じゃ無理があるし、わたしはそんな理由で話していてちょっとむなしくなることもある。
どちらもバランスよくやったらためになるんでしょうけども。
でも結局これって、自分に正しいことを教えてくれる存在を求めてることになるのかなあ………

落ち込んでばっかりだな。最近やっぱこっちの生活つらくて、留学しようなんて考えなきゃよかったのにな~とか思っちゃう。苦手なことに真っ正面からぶつかろうとしなくても、ずっとうまく逃げて生けていけばよかったじゃん、今更自分を変えようとしなくてもべつによかったじゃんって。つらいね~

日本人といることについて

避けては通れない問題ですねこれは

今日イタリア人の友人に、みんな日本語話しすぎだみたいなことを言われた。わたしたちが日本に留学してたときはイタリア語なんて使いたくもなかったと。
返す言葉もない。
いやこのへんについては言われるまでもなくどうするべきかずっと考えていたんだけど。外から見て、というか経験者に言われると、何も言えない。

でもここで一旦弁明すると。
日本語のことはおいといて、しばしば留学の際に話題に上がる"日本人同士でつるむこと"の是非について考えてみる。
留学してみて、日本人と一緒にいることが必ずしも悪いことかというと、それは疑問に思う。
まったくのひとりぼっちでいたらあらゆる場面で詰んでただろうし(まあそれも経験しろよって言われたらおしまいなんだけど)、気持ちが安定するのなら、勉強に前向きに取り組めるのなら、それはそれであっていいことなんじゃないかなと。
(でもこのへんは英語しゃべれるひととは意見分かれそうだな~。何かあったら英語で通じあえるから大丈夫って思えるのはうらやましい、わたしはほんとに英語じゃ無理なので。イタリア語と大差ないというか今は何も英語出てこないわ)
それにこんなこと言うとひとに怒られそうだけど、わたしの本音としては、語学上達のためだけに留学してるのではなく…。イタリアの、あるいはヨーロッパの、ありとあらゆる知らないことを知りたいわけで。
色んな経験を積みたいと考えたときに、ひとりでできることなんて限られている。現に、交換留学のプログラムを使って複数人で来ているからできたことは多々あって、あるいは日本人同士のツテがあったから経験させてもらえたこともあって。
そのへんをあえてばっさり切り捨てることって必要かな?とわたくしなどは思うわけです。
文化を知らなきゃ語学も意味ない。長くこっちにいられるならひとりでも自然と経験していくんだろうけど、わたしたちには時間がない。10ヶ月を有意義に過ごすには、ある程度"無理矢理に"経験していくしかない。

で、実際、日本人といたらそりゃあ日本語話すんだわ………。そこは許してほしい、結局問題は頻度ってことだ~~
わかってるわかってる、そろそろ状況に甘えずストイックに勉強していかなきゃだめなんだよね。
自分をかわいがりすぎたわ。自分は逃げたとのちに後悔したくないからもっと気を引き締めよう。そのためにも日本人とはうまく距離をとろう。うまく。
色んな考えのひといると思うけど、わたしはクラスの外国人といるよりイタリア人といたほうがいいなと思うしたのしいので、そういう感じでがんばるぞ~~

ダウン

風邪ひいた…
冬に移っていくこの時期に雨季が来るのはなかなか困るな。これはみんな風邪ひくでしょ。
やっぱりイタリアに旅行するなら夏をすすめたい、秋冬はだめだ。イタリアの秋は天候がむずかしすぎる。夏なら日照時間長くて1日をたっぷりたのしめるからなあ~ああ夏来ないかな~

イタリアでくよくよ悩んだり病気だつらいだ考えたりしてると、すご~くじめじめしてるな~と自分を客観的に見ちゃう。この国でそんなふうに悩んでもどうにもならない、そんな気分を汲んでくれるひとは誰もいない、という気分になる。それで余計なことで頭を悩ませるのはやめようと思えるので、まあ今のところこれでいいような気がしている。

また1ヶ月が終わろうとしている。やばいぞ~~

停滞

新しいクラスで授業はじまってからバタバタして更新できてなかった。

ドイツ、無事行ってきました。オクトーバーフェストの話も書いておきたいけどそれはまた今度、最近のささいな出来事だけ取り急ぎ~

・足くじいた
2年前思いっきり右足首怪我したときとまったく同じようにやってしまった。石畳でヒールはだめだわ。今回はすぐ歩けたのでセーフ。
しかしその後大学まで歩く元気がなくてバスに乗ったら行き先間違えて死にかけるというおまけつき。何人もの道行くイタリア人にどこでどのバス乗ったらいいかきいてなんとかたどりついて、あの瞬間ばかりはイタリア人の優しさを感じた…

・日本映画をイタリア語字幕で観た
けっこうためになる。しかしアパートとか電車とか桜とか、日本の景色を観たらそれだけでぐっときてしまった。

・胃が小さくなった
この前の週末は父に会いにミラノへ。父やその仲間と、めちゃくちゃ食べて飲んでの昼夜を久々に過ごして実感、もう全然食べられない。こんなんじゃグルメになれないわ~~

・勉強不足
やり方を変える、というかもっと勉強しないと。放課後ぼんやり過ごしてちゃだめ。使える言葉をもっと能動的に増やしたいし映像観るとかそういうこともしていきたい。

・承認欲求?宗教?
お察しのとおり自分のイタリア語が進歩している実感がまっっったくなく、気が塞がっている。さらに父に会ったことで日本での日常を思い出してしまい、ホームシックではないだろうが(ホームシックてなに?)、イタリアでの生活から逃げたい、楽したいという気持ちに支配されている。いまなんとか日本帰らないでいられているのは、たくさん旅行したいっていうただそれだけのモチベーションによる。
そんなわけで、勉強がんばってるね、それでいいんだよ、よくなってるよ、って言ってくれるひとが欲しい。これ、ただ誰かになぐさめてほしいのかな、承認欲求の問題かなと思っていたがどうやらちがう。
勉強面で絶対に信頼できる存在があればめちゃくちゃ楽になれるんだよね。このひとはすべて知ってるから、このひとを信じて進めば大丈夫、って思えるの、精神衛生上かなり大事なんじゃなかろうか。いまこの瞬間、世の中で宗教が求められる理由が大いにわかる……。(そういうわけで誰でもいいのではなく、事情のわかるひとにアドバイスしてもらいたいという感じ。それを誰かに相談することもできずもやもやしているんですねえ…)
そういえば受験生時代も信頼できる先生にひたすらついていく信者スタイルで乗り切っていたことを思い出す。あと模試だのなんだの、客観的に自分の能力を評価してくれる機会がコンスタントにあったのもよかったんだろうな。ああいう数値をみて気持ち的に救われていた部分はあった。
でも考えてみるとこういう信仰って、終わりがあるものに対してのみ有効なんじゃないかなあ。受験も、人生も、終わりというか目指すべきゴールがあるから、それに向かって進めるんだよねえ。
その点語学って、終わりがないものな………そういうのが苦手なのかもしれない。経験がないだけか。正解としては、自分で少しずつゴールを設けることなんだろうけど、どんなゴールがいいかねえ…
とりあえず、この思考の途中で出てきた「承認欲求おばけを知り合いのいない土地に放り出したら簡単に発狂する(あるいはそのままなおる)」という仮説を書き留めておきます。

くせ

今、日本国内を旅行したい気分です。
主に、おいしいものを食べに。福岡行きたいな。

なんで今そう思うかって、身近にあるものこそおろそかにしがちだけど、やっぱりそれが自分にとって大事なものなんだよなとひしひし感じているからです。
海外来て、やっぱり母国がいちばん!という感想で終わってしまうのはちょっともったいないと思うのですが、でも自分の生まれ育ったところのよさに気付くいい機会であるのはまちがいないですよね。

最近、自分の思考のくせを自覚しました。
抽象的に、一般化して、大きく考えてしまいがちで。
もっとシンプルに、具体例たっぷりで考えてったほうが楽であろうという場面は多いんですが、くせです。
上記の話だって、なぜ?→とんこつラーメン食べたいから!って、すぱっとまず具体例から始めてしまえばいいのに、うだうだと一般化して話している感じ。
もちろん、常にこうだというわけではないのですが。

そしてさっきの理屈で言うならば、今は今の自分の近くにあるものを大事にして、例えばめいっぱい国内旅行したらいいんですよね。イタリア国内、見たいとこありすぎて結局選びきれてない…。


ああ、草間彌生の個展行けないなあ…………