finalmente

6月30日をもって10か月の留学プログラムが終了しました。

 

やった~~~~~

 

それなりに楽しいこともあったけど、この日を待ちわびるくらいにはつらかったよ…

 

今月は資格試験と学部の授業の期末試験があったり、月末のテストが今までとは一味ちがってえぐかったり、そんなこともあってかつい先日はイタリア語で悪夢にうなされて、さすがに多少は身体に染みついたんだなと思った。イタリア人にだいぶ意地悪言われてたけどね。”イタリア人にわけのわからん外国人と思われている自分”という意識がめちゃめちゃ強いんでしょうね。たとえば、たまたまその場に居合わせたイタリア人としゃべって、イタリア語上手に話すねって言われたことは何度もあるし、そういうときは少しはこの土地に馴染んできたのかなと思うんだけど、その一方で店員とイタリア語でやりとりをしていても一度こちらがききとれなくて訊き返しただけでめんどくさそうに英語で返されたりすると、お前のイタリア語なんて通用しないんだと奈落の底に突き落とされたように感じる。わたしはその間をずっといったりきたりしていた。とはいえ後者の効き目は抜群で、一度やられると数日引きずるし、自分が”異物”であることをはっきり思い知らされる。もしかしたらずっと住んで満足に話せるようになれば、完全に溶け込んだと思うもんなのかもしれないし、それでもやっぱり”ちんちくりんの外人”扱いをされるような気もする。到達点みたいなものがあるわけじゃないんだろうな。

日本帰ったら自分が外国人じゃなくなるのが、どう感じるんだろうと今から楽しみ。道を歩いているだけですれちがう知らないひとから顔をじっと見られることもなくなって、人混みのなかの、何とも認識されないただの通行人になる(と感じる)んだろうか。

 

さて、帰ったら何をしようかなと考えたときに、ふと、人生をもう少し楽しもうという考えが浮かんだ。

どうしてかわからないけど、今までを振り返ってみると、楽しい人生を送ろうと思って生きてこなかったような気がする。ちゃんと生きなきゃ、自立してそれなりの暮らしを将来するために”どうしなければいけないか”を逆算するように人生の選択をしてきたのかもしれない、あまり意識もせずに。

今それに気付いたのは、きっとイタリアでの留学生活を日本に帰ってからいつかは懐かしく思い出すだろうなと容易に想像できてしまったから。10か月間基本的につらいつらい言いながら過ごしたとはいえ、イタリアの空気というか、日本とはまったくちがうその環境下にいたことをどうしてもうらやんでしまう自分もでてくるだろう。そのときに、ネガティブな思考からではなくて、ポジティブにいい経験だったな、と思えたらいいなあと。そのためにも、これからの人生もっと楽しくしたいと思ったわけで。

楽しんで生きるというか、現実との折り合いのなかで自分が楽しいと思う生き方をみつけていくのはたぶん難しいことだけど、そのために頭を使ってみる価値はあるはず。自分がそのときやりたいことだけをやって生きていくなんてできないだろうけど、やりたいことができないんじゃ意味ないよね。

 

ということでひとまず。