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なんでイタリア語やってるの?

最近授業中なるべく発言しようと、がんばろうとしています。
誰に問うているわけでもない先生の質問に対しても、なるべく答えようと。

これがなかなかむずかしいんですけどね~授業中にがんがん発言する文化ってあまりないですよねえ日本だと。とにかく、今は間違い覚悟で話そうという気持ちだけ持ってがんばっています。

そこで気付くんですが、やっぱり話すときってコンテンツありきなんですよね。前もたぶん書いたけど。
本来、言いたいことがあるから外国語を勉強するわけで。
何かはっきりした目的があって勉強しているひとは強いんだと思う。料理人とか芸術家とか志して留学するひとは上達はやいだろうな。
わたしの場合はイタリア語を勉強すること自体が目的になってしまっているので、そうするとモチベーション維持がむずかしいのも自然なこと。勉強に疲れたな~と思ったとき、そこからでもやる気が出るような何かって持ってない。
言いたいことがなきゃ話なんかする必要ないもんな。だからそういう意味で、おしゃべりのひとは外国語勉強するの向いてます。

で、わたしが今すすんで話せることって、飲食に関することと、学部で少しでも勉強してきたようなことくらいなんですよ。
一見すると学部での勉強は留学にあたって何の意味もないように思えるのですが、実は大事だったんですね。(だから盛んに留学するような学部がリベラレアーツみたいなことをやっているのってはたしてどうなんだろう、とふと…。広く色んなこと勉強しようといったって実際中途半端にしかならないんじゃないのかなあ)
興味や関心のあることに関しては語りたくなるし、そういうものを持ってる人間は強い。
そして自分が学部で3年ちょっと勉強してからこっちに来たのは選択として間違いではなかったと今は思える。誇れるほどの専門知識はないけど、少しずつ自分の考えを形成する要素になってくれているし、こちらでアウトプットを繰り返していると帰ってもっと勉強したいなと思える。何かを継続して勉強すると、その領域外でも、知識だったり考え方だったりはある程度機能してくれるものだよね。
ま、留学するとかしないとか関係なく、大学では自分が学びたいことをやるのがいいんだと思いますよ。就職がどうこうとか考えてやりたくもないことやるのは意味がないよね。興味のないことをむりにやったってそれは決して自分を助けないぞと。その場所にいればなんとかなるみたいなぼんやりした考えで何かやるくらいなら、ちゃんとやりたいことやろうな、と思いました。