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1/5

明日の試験が終われば10月の授業も終わり。
留学の1/5が終わりそうってやばくないか??

この前、イタリア人の女の子に○○のことが好きなんだけど内緒だよ!みたいなこと言われて、こんなの小学校以来だな…ってにやにやした。ふぉるつぁふぉるつぁ!この女の子とは仲良くなれそうでうれしい。

相変わらずぜんぜん言葉が出てこないし知能は3歳児レベルなんだけど、イタリア語を勉強しているとたのしい瞬間もある、もちろん。

その女の子に、イタリア語と日本語どっちで考えてるの?と訊かれたんだけど、まだ日本語ばっかりだなあと…(そりゃそうなんだけど)。
話すときの8割くらいは、日本語で頭に浮かんだ言いたいことを自分にできる範囲でイタリア語にしているというのが現状。残りの2割は、日本語を通さずそのままイタリア語で言葉にしている。よく使う表現とか、反射的なものに限るけど。
(前者に関して、当たり前だけど授業やふつうの会話のなかで意見を求められたときにそもそも何も頭に浮かばなければ何も話せないし、実はそっちの、言葉以外の問題って大きい。コンテンツがなければ黙ることしかできないし、そうするとこいつは話せないやつだと思われる。逆に言えばごくわずかな語彙でも本当に伝えたいこと・自分の関心事なんかはがんばって伝えようと努力できるところはある。日本のゼミで、プレゼンをよくするためにはコンテンツを磨けと言われたけど、まさにそういうことだよね。おしゃべり好きは上達はやいと思うわ)
脱線したけど、この8割というのがどんどん減っていけばきっと流暢に話せるようになるということなんでしょう。

言いたいことをイタリア語にするとき、つい直訳しようとしがちなんだけど、それじゃうまくいかないことが多々ある。そうなると、思い浮かんだ日本語を一度日本語で言い換える必要が出てくる。
この言いたいことを組み立て直す作業をしていると、自分が今までどれだけ日本語の慣れた言い回しに頼って話していた/考えていたか、ということを自覚させられる。言い回しに寄りかかって、思考停止していた部分があった。それに気づけただけでも大きな収穫だし、言いたいことを論理的に再構築する訓練はきっと語学をやめても自分の役に立つ。このへんのことはやっぱりおもしろいなと思う。
で、そうやってイタリア語の構造にぶちこむための再構築をやっていると、イタリア語で考えたほうが楽なケースも出てきて、たぶんこうやってイタリア語的思考回路が育つんだろうなあと。うーん、それにしても考えすぎかもしれないな。

そうするとやっぱり、慣れと実践、インプットしてはアウトプットして…しか方法はないんだよね~
だからそのインプットは、イタリア人の話すイタリア語がいいとわたしは思う。あんまりわたしはクラスにいる、つまりイタリア人以外のひとたちと積極的に交流しようとはしていなくて、そのひとたちと一緒にいるならイタリア人とおしゃべりしたいし出掛けたい、と考えている。
語学やってて何がいちばんわからないって、言葉選びとかニュアンスとか、そういうあいまいな部分。文法は授業受けて自分で参考書読めばいい。
アウトプットにしても、せっかく自分で増やした語彙は、積極的に使いたいしそれが合ってるのか確かめたいじゃない。それは外国語としてイタリア語学んでる相手じゃ無理があるし、わたしはそんな理由で話していてちょっとむなしくなることもある。
どちらもバランスよくやったらためになるんでしょうけども。
でも結局これって、自分に正しいことを教えてくれる存在を求めてることになるのかなあ………

落ち込んでばっかりだな。最近やっぱこっちの生活つらくて、留学しようなんて考えなきゃよかったのにな~とか思っちゃう。苦手なことに真っ正面からぶつかろうとしなくても、ずっとうまく逃げて生けていけばよかったじゃん、今更自分を変えようとしなくてもべつによかったじゃんって。つらいね~

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